私が実家に住んでいたころに同居していた母方のじーちゃんは、私が小学校に上がる前に死んだ。生前のじーちゃんに関する情景は2つしか覚えていない。1つは、病院のベッドの上にいるじーちゃんの姿。もう1つは、まだ元気なじーちゃんが家にいたころに、一緒に遊んだすごろくのこと。

じーちゃんはよく、私のすごろくの遊び相手になってくれた。あの頃の私は、ただ勝ちたい一心でサイコロキャラメルの空き箱を物陰に隠れて転がし、何が出ても「6が出た」と言っていた。さらに、進むマスの道中で「◯マス進む」などの有利な条件が出るたびに、それもちゃっかり加算して、どんどんゴールに近づいていった。

当時の私は、自分のズルがばれていないと信じて疑わなかった。じーちゃんの反応はいつも決まっていて、「また6が出てすごいね」と優しい声で称賛してくれた。

じーちゃんが本当にそれを信じていたのか、あるいは気づいていながらも何も言わなかったのか、その真相は今となっては分からない。ただ、じーちゃんが笑っていた姿だけが記憶に残っている。

成長するにつれて、あの時のじーちゃんの態度を振り返ると、何とも言えない気まずさと温かさが入り混じった感情が湧いてくる。実家の仏間にあるじーちゃんの遺影を見るたびに、あのすごろく遊びのことが思い出される。

そこで私はいつも、じーちゃんの温かさと自分の幼さを感じる。