
島が一番、眩しかった頃
僕は生まれも育ちも、この渡鹿野(わたかの)島。渡鹿野のことは少し調べたら出てくると思うけど、僕らが子供の頃は、この島ひとつに、大阪のミナミとか名古屋の錦とかが凝縮されたみたいな、そんな繁華街の活気があったんです。
大きなホテルや飲食店がひしめきあって、飲食店だけでも60軒以上あって、メインの通りだけじゃなくて、狭い路地にもお店が並んでね。和洋折衷の豪華な部屋や大きなプールがついているような、時代を先取りしたリゾートホテルなんかもあった。


泳げなあかん、島の日常
小学校や中学校は島にはないから、船に乗って通ってたんです。渡鹿野、三ケ所(さんがしょ)、的矢の3つの地区の子供が、現在は廃校になった的矢小学校に通ってた。県道船(けんどうせん)って呼ばれる船にみんなで乗って。台風で天気が悪いと船が出なくなって学校を休めるから、「ラッキー!」と喜んでた(笑)

島での遊びといったらやっぱり海水浴。島のどこでも海水浴ができるからね。それに、この島で住むということは、海に落ちる可能性なんかもあるわけやから、泳げるようにならなあかん。スイミングクラブで習うわけじゃなく、みんな自然と泳げるようになるの。行事でも毎年、遠泳大会があって、的矢から渡鹿野島まで泳いで渡る。小学校の4~6年生くらいだったと思う。泳げやんだら「おじくそ」言われる。ヘタレみたいな意味ね。
海だけじゃなくて、神社やお寺も遊び場だった。陣地の取り合い合戦とか、めんことか。子供が多かったから、集まればなんでもできたんよ。夏はお寺で盆踊りもあった。

秋には、学校の帰り道にアケビやムベをよく食べたなあ。高いところにある実を、年上の子が木に登って取って、みんなに渡すの。じゃんけんで公平に渡すんやけど、小さい子はじゃんけんに負けると泣いたりする。そしたら「ほんならこれやるわ」言うて、大きくてきれいな実を渡したりして。そこで上下関係を覚えたりもした。
熱気に満ちた天王祭
一番楽しみにしてたのは、7月にある「天王祭」っていう大きなお祭り。島の若いもんが神輿を担いで、八重垣神社を出発して、メインの通りを走り抜けるの。歩くんじゃなくて、神輿を担いで走る。僕は起源には詳しくないけど、祀ってるのがスサノオの神で、気性の荒い神様だから、祭りも荒々しくて、熱いお祭りなのかな。
2日間あって、すごく盛り上がってね。海上花火もあがって、すごかった。子供の頃はそれが本当に、楽しみで楽しみで。楽しみすぎて熱が出るくらい。その神輿を担げるのは島の中でも限られたメンバーだから、憧れでもあった。進学で一度島を離れてからも、この祭りのことはよく思い出しては懐かしく思ってた。あの熱狂は、どこにいても忘れられない、僕の根っこにある景色なんです。数年前からは神事だけになってしまって、神輿はなくなってしまったけどね。

ぼちぼち、がいい。
子供のころは気づいていなかったけど、昼間の様子と夜の様子は違ってたと思うよ。思春期のころは、もちろん、複雑な思いはあった。だけど、それで経済が回っていて、生活が潤っていたからね。高校になると、通うのが大変やから、島のほとんどの子が下宿する。僕も高校は津、そのあとは名古屋に住んでいたけど、30歳でこの島に戻ってきて、旅館を継いだ。他にも選択肢はいっぱいあったけど、やっぱり、経済的に良かったからかな。まあ後々、たくさん苦労はしたけどね。
だけど、昔の賑やかさが落ち着いた今の島には新しい風が吹いていてね。最近では、家族旅行やグループ旅行、それに修学旅行生なんかも来てくれるようになったの。今は島全体が穏やかで、心地よい雰囲気になったんじゃないかな。

この「わたかの荘」をペットが泊まれる旅館に変えたのは、20年前くらい。旅館をこれからどうしていこうかと考えていた時期があって。その時にちょうど「ペットに特化した旅館っていうのはどう?」と知り合いに声をかけてもらって。そこから、ぼちぼち続いてる。ぼちぼち、がいいんです。細く、長く、ね。
設備を整えるにはお金がかかるでしょ。だから、うちはハード面じゃなくって、ソフト面で勝負なの。お客さんとのコミュニケーションを大事にしてて。見送るときは絶対、船が見えなくなるまで手を振る。それでまた、ここに、この島に、来てもらえたら嬉しいよね。


株式会社ライフ・テクノサービス採用担当。男の子二人のワーママ。
お家でのんびり過ごすのが好き。





