
遊び場はいつも成願寺だった
先祖代々、白山の上ノ村(かみのむら)出身で、4つ下の弟がいる長男として生まれました。家は製材業をしていて、田舎の長男やもんで、「いずれは後を継ぐもんや」と育てられました。
上ノ村に、成願寺(じょうがんじ)というお寺があるんですけど、小学校の時は、もう、わんぱくでしたから、境内で野球やったり、ドッヂボールやったり、あるいはかくれんぼみたいに本堂の下へ潜り込んで遊んだりしてました(笑)。当時の和尚さんはもう亡くなられましたけど、そんな悪さをする僕たちをみて、笑ってみえたような印象は残っていますね。上ノ村で生まれ育っているもんですから、当時はどれぐらい立派な、大事なお寺かっていうのもわからんかったんですよ。


秋に稲刈りが終わると田んぼで野球したり、小学校高学年頃には、友達と隣の大三(おおみつ)まで自転車で少年マガジンを買いに行ったりしてました。「僕は少年マガジン、友達は少年サンデー」とか買う本を決めて、後で交換して読むとか、そういうことやってましたね。春から稲刈りまでは境内、秋から田植えまでは田んぼ。基本的にずっと、成願寺のまわりが遊び場だったんです。
70歳からの再出発
大学から30歳まで東京にいて、戻ってきてから家業を継ぎ、70歳になった時に、完全に家業の仕事を引退しました。次は第2の人生って言ったら大袈裟やけど、「これまで地域に世話になったお礼」という気持ちで、地域のことに専念しようって決めたんです。
地域のことと言ってもたくさんあって、盆踊りに遊休農地・耕作放棄地の活用、獣害対策、学校や企業と上ノ村を繋げる「縁結びプロジェクト」とか色んなことをしています。仕事を辞めた分、かなり時間が割けるようになったので、今ではそれが一つの生きがいにもなっています。

上ノ村の良いところは、やっぱり皆さんの人柄ですね。プロジェクトを通して上ノ村に馴染んで、移住してくれた人が4、5組いて、中にはここで結婚した人もいるんです。募集をかけたり、行政が勧誘したりしたわけじゃなくて、活動の延長で戻ってきて住んでくれている。
田植えや畑作りとか頑張っている学生にも地域の人が自然と声をかけてくれる。そういう人柄や人間性が伝わっているからこそ、わざわざ上ノ村に帰ってきてくれるんやろうなって思います。

記憶を焼き付け、故郷を守り続ける
成願寺の盆踊りは20年程前、35年ぶりに再開したんですよ。その間も倭小学校区の盆踊りはあったんですけど、自分が知っている成願寺の盆踊りとはなにか違うな、という言葉にできないけどこだわりがあったんです。そんな時、先輩から「成願寺の盆踊り復活させたいから、手伝ってくれへんか」と声をかけられて、ご住職からは「再開するは簡単やけど、続けなあかんで」って言われて引き受けました。

上ノ村からは離れていった同級生たちも、お盆にやっぱり上ノ村に帰ってくるわけですね。盆踊りをしていると、みんな来てくれるから会えるんですよ。
あとは、若い人たちに来てもらえるようにと始めたのが盆踊りと沖縄の「エイサー」でした。最初は僕の恩師がエイサーをやってたんで、教えてもらいつつ、地域の大人たちと練習を重ねていると、親の練習についてきていた子どもたちが見よう見まねで覚えて、自然に踊るようになりました。それをほっといたらいかんと思って、子どもたちにも「エイサー」を踊ってもらったり、出し物参加してもらったり、それが地域の子供たちの楽しみの一つになっていると感じています。
踊ったあとご住職も含めてみんなで写真を撮る流れが自然と恒例になったのが、すごく嬉しかったんです。

僕が盆踊りを復活させて、続けている理由の一つは、地元を離れていった同級生たちに「お前らが都会で頑張れよ。帰ってきたら俺らがここ守ってるからなぁ」っていう気持ちがあるからです。同級生たちには直接言ったことないですけど(笑)。
もう一つは、今いる地域の子どもたちが外に出て行った時に、学校や友達のことも記憶に残るやろうけど、上ノ村っていう地区のイメージとして一番残るのが成願寺であってほしいなって。自分たちが小さいときは、「子どもたちの脳裏に成願寺の盆踊りを焼き付けておきたい」っていう思いを持ちながら、これからも地域の活動を続けていきたいですね。



新卒担当🌷
好きなことは旅行・ライブに行くこと・野球観戦・銭湯・カフェ巡り・ホットヨガ!☆彡





