自然いっぱいのまちで、友と戯れて

生まれも育ちも種生です。私が小学生のころ、母校・博要小学校は今の半分ぐらいしかグラウンドがなくて、残り半分は保育所と田んぼだったんです。学校で、組み立ててゴムで飛ばす飛行機の大会があって、一人一機ずつ作ってきて飛ばしたりした覚えがあります。学校終わってから、家に帰ってすぐグラウンドまで戻ってきて、夕暮れまで遊んでましたね。

旧博要小学校
旧博要小学校のグラウンド

夏は川で泳いだんですね。川上ダムの上流になってて水がきれいで、プールとかありませんでしたので、そこで1年生から6年生まで、中学生もみんなで遊んでいましたね。この地域は川上川と前深瀬川に囲まれて、ダムが真ん中にあるんです。住んでいる場所によって、水遊びができる川が指定されてたんですけども、指定された以外の支流で泳いだのが見つかって怒られたりした覚えもあります。泳いだ後は川魚取りをして、みんなボンボンと捕まえたりして、楽しい思い出です。

昔遊んでいた川上川

地域の人が楽しく過ごせる、活気あふれるまちづくりをモットーに

種生には、室町時代から今日まで、昔ながらの形式でおわたり(=種生神社の秋祭りのこと)という村祭りが残っているんです。船形だんじりをはじめ、こたつき、馬駆(うまかけ)が行われるのは珍しいということで、秋祭りにはたくさんの方に来ていただいています。

周りのほとんどの地域が高齢化で人口が減って、とても続けられないとお祭りを簡素化したり、辞めたりすることも多かったんです。でも、私が若い頃、博要地区にある博要公民館の館長をしている時に、私たちの地域では、長年続いてきたこの祭りをなんとか絶対続けようという思いで活動したことをきっかけに、「地域の人が毎日が楽しく満足できる地域づくりにしよう」っていうのを大きな目標に掲げました。

種生地区は、昔は段々畑とか段々の田んぼだったのが、今は年配の方でも耕作がしやすいようにきれいに整備されていますね。それに合わせて、20年前くらいから「四季折々の花が咲き乱れるまちづくり」をスローガンに、サツキ・ツツジ・シャクナゲ・アジサイを個人の田んぼの土手とかへ植えさせてもらっています。今はそれが大きくなって花が咲いてますので、まだ四季折々の花いっぱいの地域というわけではないですが、美しい景観が保たれているのも地域のみんなの協力があってこそだなと。

またこの地域は、徒然草の著者・吉田兼好の終焉の地とも言われていて、晩年ここで亡くなったという伝承があります。実際にお墓もあるのが自慢です。吉田兼好に関する石碑も建っていて、全国から多くの人が来ていただいているんです。

吉田兼好のお墓

夏の夜にホタルが舞う

昭和30年ごろまではホタルがたくさん飛んでいたんですが、農薬の影響で、昭和50年後半になる頃にはホタルがぜんぜんいなくなってしまったんです。「昔のようにもっとホタルがたくさん飛ぶ姿がみたい!」という声もあり、ホタルが飛ぶ地域作りをしようということで、ホタルの生息に必要なきれいな水を下流に流す取り組みから始めました。昔の川には、石鹸の泡が立っているような状況が多かったんですが、水質浄化のために汚水処理をしていくにつれてきれいな水になり、またホタルがたくさん飛ぶようになりました。その結果、種生集落(特に種生ほたる水路)はホタルの名所になったんです。

普通はホタルが多く飛ぶのはずっと山奥が多いんですが、ここは県道沿いにあるので、名古屋や大阪からも来やすい場所です。今では毎年6月頃の「ホタル観賞ウィーク」に多くの人で賑わい、この辺りでは夏の風物詩の一つですね。

夏にホタルがよく見える場所

種生の魅力を後世に

いま、種生の全ての人口は200人を切っていて、高齢化と人口減少が進んでいます。でも、200人足らずの人口の中で、30人は新規移住者。去年は7人、今年は5人。一家族ずつがここに引っ越してきてくれたんです。また、最近は外国の人が一組入ってきてくれて、市内では一番移住者の率が多いと思う。

それは何でかっていうと、この種生は、「ここに移り住んでくれるだけで全てOK」っていうような寛容な人が多いんです。そしたらネットや雑誌で種生のことを知って、面白い地域やって言って移り住んでくれた人がいたり、その人をきっかけにその人の知り合いが住んでくれたり、どんどん広がってきてるんです。

「この地域がなくならないようにしたい」っていうのが私の今の願いですね。

種生地区の魅力が載った雑誌
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