数年前に亡くなった私の祖父は、大工で、昔ながらの職人気質の、なかなかに気難しい人だった。
すぐに怒るし、怒鳴るし。
私の家にちゃぶ台はさすがになかったけれど、
もしあったら、毎日のようにひっくり返していたんじゃないか、そんなことを思ってしまう、祖父だった。

祖母は今も元気にしている。大らかと言うか天然というか。
会話をしていると、こちらが自然と突っ込み役になるような。そんな、かわいい祖母だ。

気難しい祖父と一緒に生きてきた祖母は、きっと沢山苦労してきたんだろうなと、
私は子どものころから勝手に思っていた。

だけど、祖父の葬儀が終わったあと、祖母はぽつりとこう言った。
「もうほんとに、じいちゃんには泣かされてばっかりで、大変やったわ」

その言葉は愚痴のようなのに、表情も声色もあたたかくてやさしかった。
さみしさとなつかしさが入り混じった、長い時間を一緒に過ごしてきた人にしか出せないものだった。

そのとき、私は何もわかっていなかったんだな、と思った。

思い返してみれば、祖父は人付き合いは不器用だったけれど、手先はとても器用だった。
そして、祖母の家には、祖父の作ったものが、昔からあちこちにあって、今もそれとなく残っている。
玄関や寝室には、祖父が彫刻刀で作った置物があるし、節分の日に使うまきすもそのひとつだ。

節分の日には、祖母は毎年、同じように言う。
「このまきすは、じいちゃんが作ってくれたんよ」
そう言いながら嬉しそうに恵方巻を巻く。

子どもの頃の私は、毎年同じ話を聞かされることに、正直少しうんざりすることもあった。
でも、今は違う。
その話を嬉しそうにする祖母の姿と、祖母の作る恵方巻が、私は大好きだ。

そこには、気難しかった祖父と、それでも一緒に生き続けた祖母の時間が、
ちゃんと巻き込まれている気がするから。