
敬和地区で過ごした幼少期
生まれも育ちも津で、もともと愛宕町。学区で言えば、東橋内区域・敬和小学校。津観音からちょっと北寄り、津駅の方面に行く感じですね。



敬和地区って昔はね、各町に銭湯があったんですよ。今もその名残で、「さくらゆ」っていう銭湯があります。だいたい銭湯の近くには公園があって、その公園でブランコをやったり木登りしたり、子どもの頃はそんな体を使った遊びですよね。


駄菓子屋も何軒かあってよく行きました。1番記憶に残っているのが、子どもの頃に隣の家が駄菓子屋で、お店のおばあちゃんがちっちゃいスコップみたいなので紙の袋に入れて量り売りしてくれるっていう。「これも持ってきな」って言って、本当はいくらかするやつもくれたりして。
歌のことばに救われて
母がね、私を産んだ時に既に聴力障害者で、絵本の読み聞かせも十分にできなくて。LP盤の童話を絵本代わりにしていて、その中で音楽が流れていたし、テレビだったりラジオだったりから耳に入ってくるのはやっぱり音楽だった。それが、音楽が身近になったきっかけかな。
あと、母の唯一の楽しみが映画やったんですよ。洋画は字幕で見れるから。当時、映画館は大門にもありましたし、金鍋(津市新町にあるちゃんこ料理店)の近くにはスカラ座がありました。母1人じゃ切符買うのも大変で、必ず私が一緒。やから、よく洋画を見て、その中で流れる洋楽を聴いてた。小中学生ぐらいのときは『フラッシュダンス』『トップガン』なんかを見ましたね。『トップガン』のオープニングで流れる『デンジャー・ゾーン』、かっこよかったですよ。衝撃でした。

それがきっかけで、同世代の子が小中学校でアイドルにハマる頃に洋楽にハマったりしました。みんなが「私、ピンク・レディーだ」「私はたのきんだ」ってなってた頃に、私はぜんぜん違うの聴いてましたね。でも、中学校入ったぐらいの時に、意外とハマったのが甲斐バンド。幼馴染の家に遊びに行くと、その子のお父さんがギターを弾きながら『ポップコーンをほおばって』を歌ってたりして、その情景と合わせて好きです。ギターは、今思えば上手ではなかったですけど(笑)。
歌の中の歌詞にはいろんな意味で救われました。母が聞こえないこともあって、言葉でやりとりできないのはかなりきつかった。気持ちが分かんないわけですよ。ただ、歌詞の中にいろいろ出てくるストレートな感情の言葉がすごく心地よかった。
「聴く」だけではないライブの空間
高校生になったら、島崎の水平線っていうライブハウスで同級生がやってたコピーバンドのライブに行ったりしてましたね。オーディオも好きですが、たくさんお金をかけられるわけではないので、良い音が聴ける場所へよく行くようになりました。


三重の中では、例えば大門の「BRAN」さん。ジャンルの向き・不向きが絶対どの店にもあるけど、ジャズとかそういう大人な感じのアコースティックなライブやったら、雰囲気も含めてBRANさんはすごくいいと思います。あと、東丸之内の「Heartポッポ」さんは不思議な空間やけど、けっこう良い時間を過ごせる。
やっぱり音だけじゃなくて、すべて合わせて良いなって思えるところはいくつかありますね。


totutotu副編集長。株式会社ライフ・テクノサービスで広報やデザインを担当。趣味でマイペースにZINEの編集も。SUPER EIGHTファンです。
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