老年だったあの人と、若かった私の風変わりな思い出たち。
tayutaiはいろんな人が執筆する、思い出のコラムです。
炭焼珈琲飴を見ると、亡くなったおじいちゃんを思い出します。よく食べていたという記憶から、乗っていた車のどこからか飴が出てきて、食べるか?と言ってくれたのを思い出すのです。わたしは、故人にはエピソードが、モノや食べ物、特に食べ物に多い気がするのです。それは、なぜかというと、わたしが子どもだったからということもありますが、なにかを与えられ、五感で感じたものであるから、冬のこたつの上で食べたみかんのように、それぞれが連動し、あたたかい記憶となって残っているのです。
温かい記憶。その一つとして、
今回は、絵本を取り上げます。
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わたしが絵本を取り上げたのには理由があるのですが、絵本には不思議な力があるということ、それは、読む人や、読み聞かせなどで聞く人、色彩や絵に関しても、変わるということ。
完成されつくしていないことから、成り立つものであるからだと思っています。
人間も、完成していないから、完璧でないから支えあったりおもいやりあったりする。絵本の中の世界を身近な世界に投影する。また、昔話には教訓的お話も多いのです。
さるかにがっせんを読んでみると、
なんとなくですが、それがわかる気がします。
さるが、カニに話を持ちかける
カニは話を信じて柿の種を一生懸命育てて成った実をさるに食べられる
カニは死んでしまう。カニの子どもたちが仲間に話をする
さるはやっつけられる
という勧善懲悪のお話と思われます。
柿に焦点を当てると、柿は、食べてみないと味がわかりませんよね。
柿はきっと、渋かったに違いないと思うのです。
柿を食べてしまった、さるかに合戦のサルは学習して、今度からは柿を食べないようになるのでしょうか?懲らしめられ、自分の頭で考えることはできるのでしょうか。答えはノーだと思います。なぜなら、カニを死なせてしまった事に気づいていないからです。ただ、柿を食べたことにより、怒られたと思うのではないでしょうか。
そのようなことから、この物語は、それぞれの立場から考える力を養うことができる作品ともいえますね。みんなで協力すること、その大切さも教えてくれるでしょう。
渋い柿の木のように、解釈を変えて読んでみるとまた面白いかもしれませんね。
小さい時にふと思ったのは渋い柿の木説と、気付かないさるの無責任さ。愚かさだったわけですが、
読んでもらって、それだけ?と思ったのを覚えています。サルはどうなったのか。
わたしの中でずっと残っている疑問の中の一つです。
このように、ふと思い出したり、あるエピソードを頭の中に思い浮かべたりする作業がとても大切だと、わたしは思います。
温かい記憶が五感で味わったものであるとすると、それは鮮明に、思い出されます。色や感触、匂い、味にいたるまで、その途中から余韻までを感じるとき、故人を懐かしく、温かいものとして認識するのではないでしょうか。
わたしの中の炭焼珈琲黒飴は、そんな魔法の飴なのです。
絵本と飴の共通点は、五感。
ライブで読んでもらった時の状況によって決まる。そう思っています。
ですから、なるべく、読書は孤独なものとは思わないで、読み聞かせや本に対してのハードルも無いものと思ってほしいです。
ぜひ、気になる本や本屋さん、図書館に足を運んでくださいね。
寄稿者:AprilBooks 芝川由希
三重県伊賀市柘植町柘植駅前の新刊書店&まちライブラリー
AprilBooksの店主芝川由希です。
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少子高齢化や人口減少、そしてデジタル化がすすんでいるのに、自分たちが暮らすまちのことはあまり知らない。ふと我に返ったとき、むかし祖母に聞いたまちの想い出話を、無意識に思い返していた。
そうだ、きっと自分が暮らすまちに誇りを持てていなかったんだ。ならば人生の先輩方に聞けばいい。まちにとって想い出はなにより大切な資産だと思うから。
自分が暮らすまちが少しだけ好きになるように「とつとつ」と語っていきます。お付き合いいただければ幸いです。