
自転車の配達と、溶けかけのアイスクリーム
僕が生まれたのは昭和35年。ここ、名張の鍛冶町で明治の中頃から続いてきた豆腐屋の4代目として育ちました。

小さい頃の記憶って言うたら、やっぱり店の手伝いですね。自転車の荷台に荷物を積んで、よう配達に行かされましたわ。僕が覚えてるのは、ブリキの缶の中に入った豆腐を、竹のカゴや木箱に載せて運んでたことかなあ。多い時で1日30軒ぐらい、近所の八百屋さんや魚屋さんとか、豆腐を一緒に売ってくれる店へ持っていったんですよ。


配達に行くと、お店の人が「よう来たな」言うて、時々アイスクリームくれたりしてね。夏場なんかは、半分溶けかかったようなミルク味の、銀紙に包まれた四角い棒のアイス。あれをもらえるのが嬉しかったのをよう覚えてます。
祖父の代から繋がっていたお客様との縁
本格的に家業に入ったのは25歳の時です。ちょっと別のこともしてみたかったんで、学校を出てから2年ほどは、税理士の事務所で働いてたんです。でも、親父が「早(は)よ帰ってこい」言うもんで、戻ってきました。


それからはずっと豆腐職人です。「美味しいって言うてもらえるように」って、それだけを考えてやってきました。豆腐を作るのは仕事やから、好きも嫌いもなかったけど、機械を洗うのだけは嫌いやったなあ(笑)。おからと豆乳に分ける、冷蔵庫の2倍ぐらいある大きな機械があってね。こびりついたカスを落として洗うのが面倒で面倒で。あれさえなかったらええのになあと思いながら、毎日洗うてました。
62歳の時に病気になってしまって、令和4年の冬に店を畳むことになりました。お客さんにやめることを伝えたら、「あんたのおじいちゃんが、自転車でうちまで配達に来てくれてたんやで」って言われて。そんな昔から付き合いがあったんかと驚いたし、長いこと続いてきた店やったんやなあと、改めて思いましたね。
父が復活させた八日戎の「舞」
このあたりには「八日戎(ようかえびす)」いうて、蛭子神社のお祭りがあります。8日に、名張の山の幸と伊勢湾の海の幸を物々交換する市が開かれてたっていう話があって、その名残やって聞いてるんですけど。ハマグリを売る露店がずらっと並んでました。自分の家でもハマグリのお吸い物を食べましたね。昔は、露店もたくさんあって、植木市や陶器、りんご飴、唐揚げなんかも売られてました。それ見て歩くのが楽しかったと思います。


八日戎には、七福神の衣装を着て各家を回る「舞」があるんです。「福が舞い込んだ」って言って、家の中まで入って景気づけをするんですわ。僕が小さい頃には一度途絶えてたんですが、50年くらい前に親父たちが復活させてね。今は、僕がその「舞」の保存会の会長みたいなことをさせてもうてます。ただ、これも音頭取りをする人が少なくなってきて、続けるのが難しくなってきてます。
だんだん町も変わっていきますけど、昔こんな人間がおって、こんな暮らしがあったんやということを、こうやって書き残してもらえるのは、嬉しいことですね。


totutotu副編集長。株式会社ライフ・テクノサービスで広報やデザインを担当。趣味でマイペースにZINEの編集も。SUPER EIGHTファンです。
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