
老年だったあの人と、若かった私の風変わりな思い出たち。
tayutaiはいろんな人が執筆する、思い出のコラムです。
今は、パックの納豆を半分こして満足しているほど祖父母の食がすっかり細くなったので、機会はめったになくなってしまったが、私や兄が中学生くらいの頃は、年に4度くらい近所で暮らしている祖父母の家で食事をしていた。
入学・卒業祝いなどがあると朝日屋さんで買ってくれた肉で焼き肉をしたり、そのシーズンで採れたもち米を年末年始に餅つき機でついて大根おろしやきなこ、祖母が炊いたあんこをトッピングした餅を振舞ってもらったり、いつも動けなくなるほど食べさせてくれた。
ただ、食事に限らず、祖父母の家に上がって畳の居間でくつろぐことがあれば私たち家族にとにかく食べ物を勧めてくれる。
「アイスあるに、食べるか」(このあと食べ終わると、おかわりを勧めてくれる)
「ミニトマトなぁ、よお採れるでな、どんぶり入れて置いといてつまんどるんや。食べるか」
(いちごを盛ったお皿を持ちながら)「なんかな、いちご売っとったんや。まぁ食べな」
「あたりめ、好きやろ。すぐは食べへん? 野菜の箱に入れとくから持って帰りな」
祖父母が勧めてくれるものは何でもおいしいし、私たちのことを思って準備してくれていることが何よりありがたい。
そんなたくさん振舞ってくれる食べ物の中でも、私にとって忘れられない味がある。
それは祖母がむいてくれるリンゴだ。
リンゴが旬を迎える冬場になると、祖母は「まあまあ、むいたんやで食べな」と言いながらきれいに皮をむいたくし切りのリンゴをどんぶりにこんもり載せて持ってきてくれる。
小さいフォークが2本リンゴに刺さっていて、家族4人でそれを使いまわしたり、そのままめいめいで手づかみしたりして食べる。
旬の果物なうえに、よく選んで買ってくるので、出してもらうリンゴはジューシーで甘くてとてもおいしい。
でも、なんとなく、ネギの香りがうっすらするのだ。
もともとついていた香りとは思わないし違和感もあるけど、何度も食べると「ここではそういうものだ」と食べ慣れて、うっすらネギの香りがするなぁと思いながらありがたくリンゴを味わっている。
小さい頃は、「そういうリンゴかもしれないし、祖母に文句を言うみたいでなんだか申し訳ないし、いうほどの支障もないしなぁ」と思って何も言わずに食べていた。だんだん大きくなるにつれて「ネギとリンゴを同じところで切っているのか」と察しがついて、兄に祖母がむいたリンゴのことを打ち明けると、「僕もそう思う」と兄も小さいころから私と同じように思っていたことがわかった。
私も兄も「食べる分にはあまり支障はない」とネギの香りについて祖母に伝えることはなく、出してもらったリンゴはありがたくおいしく食べている。
私にとって祖母が出してくれるネギの香りがするリンゴは、祖父母の家ならではの味みたいなものだと思う。その味と香りを思い出すと、居間の畳のにおいやこたつ布団の手触りも一緒に思い出せるのだ。

ライフ・テクノサービス広報担当。LTSブログも更新しています。推しがジャンルごとにいます(担当色が緑か青に偏りがち)。