
老年だったあの人と、若かった私の風変わりな思い出たち。
tayutaiはいろんな人が執筆する、思い出のコラムです。
私の母は介護福祉士だ。
ずっと介護の世界にいたわけではなく、シングルマザーとして女で手一つで子どもを育てるために選んだ道だった。中学一年生だった頃、職業訓練校に通いながら夜も働く母を、家で見ることは少なかった。職業訓練校ではホームヘルパーの資格を取得していた。介護福祉士になるには、母の場合だと実務経験が必要だったからだ。
その後介護施設に就職し、働きながら介護福祉士の勉強をして資格を取得。それが私が高校生の頃の話である。今思えば寂しかったからなのだが、それを伝える術を知らなかった私は、母を困らせることしかできなかった。結果、高校二年生のときには家を出て、一人暮らしをしながら通信制高校に通う道を選んだ。
たまに帰っても、母は職場の話を家ですることもなく、ただ、職場と自宅を往復するだけの日々だった。高校三年生のとき、母がうつ病になり療養が必要になった。介護の仕事を辞めたいと言った。多分もっと前から辞めたかったのだと思う。私の学費が必要だったから辞められなかったのだろう。
母が別れた男、私の父はパーキンソン病である。今から8年ほど前に一人では自立した生活ができなくなり、介護施設に入った。そのとき動いてくれたのが母だった。県外で暮らす私には子どもが3人いて、当時はまだ赤子だった末子のことを考え、静かに動いてくれた。
このとき初めて「母の仕事はすごい」と感動したことを覚えている。“母”としてではなく“介護福祉士”としての姿を見た気がした。役所や施設、ケアマネとのやり取りなどすべてしてくれた。私は、最後に判を押すだけで良かったのだ。
父の年金の中でやりくりできるようにと…パーキンソン病が進行して現在の施設にいられなくなったときのためにと…特別養護老人ホームが同敷地内にある施設を探して優先的に入所できた。すごかった。介護の仕事をする人に対しての自分のまなざしが変わることが明らかだった。現場ではどう高齢者と接していて、どんな業務があるかを私は知らない。けれど、きっといい仕事をするのだろうと思えた。
一度は辞めたいと言っていた介護士の仕事だが、母は今も介護の現場で働いている。

寄稿者:丸山希
広島市在住の商業ライター。介護士資格を持つ母とパーキンソン病の父に育てられる。年齢を重ねるということを丁寧に綴ります。

少子高齢化や人口減少、そしてデジタル化がすすんでいるのに、自分たちが暮らすまちのことはあまり知らない。ふと我に返ったとき、むかし祖母に聞いたまちの想い出話を、無意識に思い返していた。
そうだ、きっと自分が暮らすまちに誇りを持てていなかったんだ。ならば人生の先輩方に聞けばいい。まちにとって想い出はなにより大切な資産だと思うから。
自分が暮らすまちが少しだけ好きになるように「とつとつ」と語っていきます。お付き合いいただければ幸いです。



