今は無き、名張のアーケード商店街

私は名張に生まれ育ちました。地元の良い所だと、旧市街地に商店街があって、薬屋さんや飲食店、銭湯など色んなお店が立ち並んでたんよね。たまに通っていたくらいだったけど、100メートル以上のアーケードが地元で初めて作られ、常にお客さんでごった返しだったな。お祭りの様な雰囲気が魅力的でした。

でもバブルが崩壊した90年代半ば頃から、高齢化やお店の跡継ぎがいない状態が目立ってどんどん閉店していくし、徐々に客足も減っていたのがちょっと寂しかったな。老朽化でアーケードが危険な状態と街が判断し、解体が決まった時は驚きでした。今は昔の様な面影はないけど、当時の昭和の雰囲気はありますね。

現在の商店街の様子

趣味の社交ダンスを習い始めたきっかけ

私は昔から体を動かす事が好きで、テニスの団体を立ち上げて試合に出たり、ゴルフの教員をしたりと、まあそこそこ動けたんやわ。でもその時に腰を痛めてしまって、それから思う様に動けんくなったんさ。それで何か治す良い方法ないかな~と考えとったら、知り合いにダンスを紹介してもらって習い始めたのがきっかけ。

大阪に「アゼット」っていうダンススタジオがあるんやけど、プロを輩出している有名な所なんだよ。200坪の広いホールでね、地元(名張)から通ってましたわ。週に1回か2回ぐらいかな?

当時は外国の先生に教えてもらって、型を作るのに相当励んだね。周りのレベルが高すぎて、付いていくのに必死。これは、もっと練習せなあかんと思って、大阪に行けない時は、地元でダンス経営をしている知り合いの所に毎日レッスンしに行ってたんやわ。戦うには誰にも負けたくないじゃないですか(笑)その精神で頑張ってこれましたね。

パートナー川北さんとの出会い

川北さんは地元のダンススタジオを経営している人でね、20年ぐらいパートナーとして一緒に踊ってきたの。出会いは、川北さんが以前勤めていた会社に私の妻がいて、そこで紹介してもらったんだよ。

最初は妻とダンスをしていたんだけど、(妻が)アキレス腱を切ってしまってね。それで川北さんと一緒に踊る事になり、そこからは猛練習の日々だったかな。いろんな地方大会に出たり、世界チャンピオンとも知り合いになったり。出会いが沢山増えて、ダンスの魅力も知った点は、私にとってかけがえのない宝物だね。

練習場所になっていた、川北さんが経営するダンススタジオ

私たちは奈良県の競技団体に入ってて、鳥取や四国、それから北海道や新潟など毎年地方の大会に出てましたね。ダンスを習い始めて、3年後に大会に出始めたかな。

それまではずっと練習ばっかりで、型も中々はまらなかった思い出があります。でも努力が報われたのか、デビュー戦でいきなり優勝しちゃったの!自分もびっくりで(笑)

手先がきちんと伸びているのかとか、正しいポーズが取れてたかとか、疑問に思うところは沢山あったけどね。でも練習の成果が出たんだなって思った瞬間でした。それからはありがたい事に優勝も何度かしたり、トロフィーも頂きましたね。

採点の基準はそれぞれあるんだけど、高身長同士はダイナミック性があって恰好良いんだよね。一つ一つの動きが大きく見えて、見ている人たちをあっと思わせれる。私たちは身長差があるもんで、そこを上手くリードして綺麗に見せる様な工夫も凝らしたね。

食生活に関しては大会の1週間前になったらコントロールしていたかな。1分半踊り続けるので、体力と筋肉が必要ですし。

ダンスは各ランクによってその形があるんだけど、日本全体のレベルも段々と上がってきていて世界にも匹敵する様になってきているし、もっと色々な人に興味を持ってもらえたら嬉しいね。

城山さんと川北さんペア

城山さんのこれから

今はもう引退をしちゃって、5年は経つかな?引退パーティーもしてもらいました。

大会は出てないけど、レッスンは今でも受けてるよ。最初は腰痛治しから始めたきっかけが、幾度も表彰されたり、有名人と良い関係性が出来たりとすごく感謝しているね。人生は楽しんだもん勝ちです(笑)

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