生まれも育ちも伊賀の中心地

本籍は旧上野市小玉町。そこに生まれたんです。街の真ん中だよ。生まれた時は近くに伊賀上野城の下に移る前の市役所があって、裏が私の家だったんですよ。

福岡さんの生家周辺の現在の様子(「上野ふれいあいプラザ」が旧伊賀市役所)。
お話を伺った福岡さんは陶芸作家。市内に窯を持ち、作陶や陶芸教室を行っている。

小玉町には、昔、魚市場があってね。だから、このへんは魚関係の店が多かったね。

八百屋の御用聞きみたいなもんもあって、けっこう家に来てくれたんですよ。そこのお兄ちゃんとよく喋って、将棋を教えてもらったりとか、学校の宿題の絵を手伝ってもらって、それが入賞したりしてね(笑)。御用聞きのお兄ちゃんは20代だったかな、よくサボって親方に怒られてたよ。

けど、個人の店はもうほとんどやめてしまってね。残っている店も商売替えしたりとかして、御用聞きに来てくれた八百屋さんもなくなって、だいぶ変わったね。

それから、中学1年ぐらいの時に旧上野市丸の内に引っ越ししたんだけど、ニチイというスーパーが市役所跡を買い取って、この一帯の再開発をした際に私の土地も一緒に買ってくれたんですよ。

それからはずっと丸の内で高校までおったんで、だから小学校は上野西小学校だし、崇広(すうこう)中学校、上野高校と3つ並んでいて、家が近いから、授業のチャイム鳴ってから走っても間に合うぐらいだったんですよ。

子ども時代の「ぶっちん」遊び

学校帰りに寄り道とかはしなかった。家が近すぎて寄り道するようなところもなくて、買い食いもできひんし、真面目な少年だったんですよ。

小学校が近かったから、学校のグラウンドで野球とかサッカーとかやってるのが多かったかな。見かけによらず、けっこう運動神経が良いほうなんですよ?(笑)

あとはメンコとか。このへんでは、メンコのことを「ぶっちん」って言うんですよ。近所に保険会社があって、そこの玄関前のスペースで、よくぶっちんをして遊んでてね。近くの魚屋のお兄ちゃんが一緒に遊んでくれたな。

ぶっちんは、名刺よりちょっと大きいくらいで、丸とか四角とか。それには野球選手とかの絵が描いてあったかな。あとはビー玉同士をぶつけて飛ばして、それで勝ったり負けたりとかして遊んでたかな。

爽快なだんじり上からの眺め

毎年10月の後半に上野天神宮の秋祭りがあって、「だんじり」って山車が出たり、鬼行列もあってね。「本町」、「二之町」って通りがあってね、この通りの各町がだんじりを出すわけ。

だんじりには、小玉町に住んでる子どもだったら全員乗れてね。私も小学校と中学校の時に乗ってね、鐘叩いたり、太鼓叩いたりして。だんじりの上に乗ってみると、気持ちいいんだよなぁ。高さは3メートル以上あるんじゃないかな。乗ると狭くて、大人3人と子ども5人ぐらいでいっぱいなんですよ。

だんじりに乗る幼少時の福岡さん。

祭りの前には練習をしっかりしてね。小学生は鐘、中学生は太鼓、大人になったら笛と決まっていたのかな。本当は笛までやりたかったんだけどさ、その頃にはもう丸の内に引っ越したから、残念ながらだんじりには乗れなかったんですよ。

最後の練習の打ち上げの時に、「ストーク」って今もある欧風料理店が振る舞いでカレーを出してくれるんだけど、それが子どもにとっちゃ辛くてね。担当のおじさんも「もうちょっと甘くしてよ」って言ってたもん(笑)。でも、やっぱり家のカレーとは違うから、すごく美味しかった思い出もありますよ。

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