母と味わった名張の景色

中学までは事情があって群馬県に、高校の時は大阪にいました。名張へ来たのは包装資材を扱う藤森工業に入社して、だいぶ後です。昭和天皇が崩御された頃・・・平成元年に名張に引っ越しました。それも母親が犬と一緒に暮らしたいというもので、こちらでお家を建てて、大阪へずっと通勤してたんですよ。定年までずっとね。

母がいた頃は2人で出かけることもありました。足も悪くて、車椅子だったからやっぱり近場になりましたね。年に1回ぐらいは出かけに行ったと思います。温泉とかいいところがあると行ってみようかなってなりますし、母も喜んでましたよ。それに、名張は景色がきれい。自然が素晴らしいですね。大阪だったらやっぱり地下鉄に乗ってデパートとか、そういう感覚しかなかったと思います。

ご飯だと、「平井亭」とかありましたっけね。コロナでなくなっているお店もいっぱいだけど平井亭さんは今もやってますよね。私もお店に行くのは楽しみでしたし、母親も連れて行ってあげると喜びました。

よくいただいていたのは川魚料理で、塩焼きとか甘露煮とか。あとはルイベっていうのもあったかな? そのまま切ってお刺身にした背ごしとか。いろんな調理方法で食べさせてもらいましたね。ほんと、楽しみになるぐらいおいしかったです。

骨が柔らかい若い魚を、背骨ごと輪切りにする食べ方。

おすすめはやっぱり春、桜のきれいなときですね。名張川沿いの桜は絵になりますよ。

鮎・あまご・にじます・おいかわ・こいが釣れる名張川

名張でお家を建てて、犬と住めて、母はもちろん喜びましたけども、私は朝早くから夜遅くまで出勤してて、地域の人との会話もほとんどなくて。だからか、母はすぐに認知症になりました。行政の支えもあまりない時代で、市役所に相談に行っても「収入があるからそういう施設には入れない」「自助努力をしてください」と言われてしまいました。

「変わっている」自分だからこそできること

そういう経験もあって、少しの助けがあることによって、その人がその人らしくご自分の家で長く暮らしていけるんじゃないかと考えてて。1人暮らしの方にお弁当作って届けるボランティアに参加したり、民生委員もしてます。地域が支えるから1人暮らしでも安心して住める地域にしていく、そんないい循環を担う一員になれればいいなと思っていますね。

例えば、あるおうちで、階段の上り下りでゴミ出しがつらいって言ってらっしゃる方がいて。私がゴミ出しを助けてあげたら、ご主人と一緒にその家でずっと暮らせるのかなと思って。実際、やってあげると、喜んでくれてます。本人が市役所にも言ってくれてるみたいで、いろんな人に「ありがとう」って言ってもらえて。私自身すごく安心して喜びました。

ボランティアで関わる人に安心してもらうために受けた、さまざまな講座の修了証
地域の方へ届けているお弁当

子どもの頃、毎日習い事をさせてもらったら嬉しいなと思ってたんですけど、今は「そうだ、私は自分の力で毎日レッスン受けよう」と思ってて。「大人になって自分で行動を選べるようになったから、人を助けることも選べる」、そういうふうに、誰かのために自分の生活を使うことって「毎日レッスンを受けている」のと同じなんですね。

ここまで人のために行動しているのは、自分でも変わった生き方してると思ってます。でも、やっぱり喜びがあるんですよ。やりすぎって言われても「言われてるか~、まあいいわ」と思う。そんな「変わってる自分」を利用してます。

定年後の未来を切り開く「社交ダンス」

「(社交ダンスのパートナーから)定年になってから、社交ダンスとカラオケはやった方が年をとっても老け込まないよ」と言われて、「そうか、そうか」と思って。私の時代の企業マンって結構イエスマンじゃないですか。なんでも「はい」って返事をする癖になっているもんで、「はいはい」って感じでダンスとカラオケを一緒に始めました。やっぱり何かできることがある方が楽しいですよね。

最初にこのホールを自分のものにしようと思ったのは、体幹とかいろいろ訓練するために、自由にトレーニングする場所がいるなと思って。というのも、社交ダンスを始めたときから組んでいるパートナーの方は背が高くて、私とはすごい身長差がありました。しっかりダンスの振りを合わせるためには、普通以上にトレーニングをする必要があったんです。

ちょうど定年で、退職金の有効利用のためにも「形のあるものを」と思ってこの物件を買いました。ここへ先生に来てもらってレッスンを受けつつ競技選手になったんです。それに、私やダンス仲間の遊び場にもすればいいかなと思って。

社交ダンスは始めてから20年は経ちますね。今は現役じゃなくて、発表会を目標にやってます。

やっぱりきちっと指摘してくれる先生だと、毎日が新たになる感じがします。今は1人住まいですし、そうしたら注意してくれる人もいないから、そういうぬるま湯な感覚から引き戻される。それがすごく私の健康を維持する要になっているように思うんですね。だから生涯スポーツとして取り組んでます。

それに、芸術、スポーツっていうのは全部上には上がいますもんね。とどまるところを知らないでいきたい。いつも歩んでいきたいという感覚を持ってます。私自身が、そうすることによって考え方も前向きになれるような気がするかなって思ってるんですよね。

大人になったら、子どもと違って自分で生活設計が立てられるようになるのがいいと思って。大人だから、未来は自分で切り開いていくっていう気分です。

自分で自分を実験してるところもあります。今の私よりも若い年で母親は亡くなってますから、こうしたら元気でいられるっていうことを書き留めておいて、後世に残してあげればなと思っています。ダンスができて今日があるという感覚です。

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