
「よそ者」と呼ばれた新婚時代
出身は島根県の隠岐の島。結婚して25歳の時に三重県に来ました。
その頃、島で「(教会の)先生になりなさい」って推薦を受けて、岡山の金光学院で1年修行してて。教師の資格をもらって帰るってなった時、そこの先生に「僕と結婚してくれ、三重まで行くぞ」って言われました。「どうしましょうなぁ」と思ったけど、まあ、縁があったんでね。
島だとほとんどの人が21歳で結婚して出てってしまってるから、25歳で結婚っていうのは遅かった。亀山に来た頃は「おばちゃんが来た」「年取った嫁さんや」って言われた。来たときは25歳で、数えて26やもんね。
それに、島根の方言が出ると「よそ者やで言葉も違う。標準語で話してください」って。婦人会に行ってもどこに行っても、そう言われるからストレスもたまるし、島根に帰ろうかなと思ったこともあったよ。
でも、結婚が遅かった分、島で料理や生け花、なんでも勉強してたから、そのおかげでお義父さんもお義母さんも私に怒鳴ったりするようなことはなかったね。
お義父さんは魚が好きで、刺身や煮魚が食べたいって言われたら自転車に乗って魚を買いに行きました。買うのは1匹丸ごとで、捌くところからしていました。いつも行ってたお店は、今スーパーサンシがあるあたり。
お義母さんが、私が嫁いできてから、この教会のことを任せてくれるようになったのは、生け花ができたから。大きい集まりでいつも花をお願いしていた、お花の先生が亡くなられたことがあって、お義母さんは代理の人を立てた。でも、その人は「先生の後なんて、私にはできない。できたらやってほしい」って私に頼んできた。それで当日、私が花を生けたんやけど、それを聞いたお義母さんは「こんなにできるって知らんかった。今度からあんたに頼むわ」って任せてくれるようになりました。
初めからなんでも「できる」って言うと、その気がなくても生意気に見えてしまうからね。普段はおとなしく、ここぞというときに発揮するのが私の処世術みたいなものやね。

交差点から生まれる一期一会
ここは亀高(亀山高校)に近くて、子どもたちの登下校の旗当番もしていました。昔は交差点に信号がなかったから、「子どもたちが事故にあったらあかん」「お役に立たないかん」って思ってね。
近くに住んでいるもう1人の人と、55歳くらいから70歳まで、20年くらいやってました。70歳になった頃にはもう信号がつきましたんでね。警察の方からは、「あなたたちの協力があって子どもたちは事故にあわなかった。信号がついたから、もうどうぞおやすみください」って感謝してもらいました。

いつやったか、登校を見終わって8時半になったし帰ろうと思ったら、交差点の端から「誰か助けてー」って亀高の陸上部の子が泣きながら倒れてまして。「僕、どうした?」って声かけたら、「足がつって動かんで、学校行けないの」って困ってた。見てみたら、足がカチンカチンに硬くて爪が青くなってて。
私は水泳の経験で足がつった時のマッサージも覚えてたから、「大丈夫。おばちゃんは水泳の方でわかっとるから対処できるよ」って、頑張ってマッサージをした。しばらくしたら血が巡ってきてあったかくなって動けるようになったから、一緒に学校まで行ってあげた。そうしたら、ちょうど先生が出てきたタイミングで、送ってあげることができました。
その一期一会で亀高の先生とは仲良くしてもらいまして、体育祭とかあると「西川さんおいで、あんたに生徒を助けてもらったもんね」って招待されて、テントの下の来賓席から先生と一緒に、生徒の応援をしたね。
高校生に頼りにされる金光さん
スーパーでも、レジに並んでたら亀高に通っていた生徒が声をかけてくれることがあります。そういうところから「結婚式をしたいけどお金がない」と相談を受けて、「費用は気持ちでいいよ」と何組か神前式をうちで挙げてもらったこともあるね。

受験生がうちに来ることもあります。ある年は、大学受験の時期に3人くらいが合格祈願で来た。表で手洗ってから、「お願いがあります。大学を一発で合格させてほしいです」って、親孝行のためにね。
そうしたら、1人の子が「いつも金光さんがあるなって思って通るだけで、僕は初めてここに来たし、信者ではない。それで、欲の深い願いでお参りしたけど、神さん聞いてくれるやろか」って。だから、私は「あなたたちが一生懸命お願いすれば、気が入っとる。その気持ちは、あなたたちが手を洗った時から、神さんは分かっとる」って言って一緒に拝んだ。
それからお札さんもあげた。「今日は慌てんでもいいのよ。力をくださいね」って落ち着いてもらうためにね。
そういうことだから、亀高の先生とも「西川さん、子どもたちが来たらお願いしますね」「もちろん良いですよ」って話してる。

亀山に来たばかりの時は「よそ者や」って言われて悔しかった。でも亀山で知り合った方から、「西川さんは縁があって亀山に来たんや。ここでしっかり勉強して、修行して、ええ亀山人になりなさい」って言葉をもらって、私は「そうやな、頑張ろう」と思えました。
これまで関わってきた亀山の皆さんにいろんなことを経験させてもらったと思います。いろんなことを教えていただいて、感謝感謝ですね。


ライフ・テクノサービス広報担当。LTSブログも更新しています。推しがジャンルごとにいます(担当色が緑か青に偏りがち)。