きれいな川のせせらぎが聞こえる、大ヶ所での子供時代
結婚してからは津だけど、出身は多気郡大台町。大台町大ヶ所(おおがしょ)ってとこで、近くの橋渡ってこっちが大台町、こっちが大紀町。それで、大台なんやけど大紀町に近いんです。
家の前が広場やったで、ちっちゃい頃は缶蹴りしたりチャンバラごっこしたり、男の子とばっかり遊んどった。あと、大台は大内山川がきれいで、男の子らが魚釣って火起こして焼いて醤油かけて、スクール水着で食べとった。「学校と違うで帽子いらんなぁ!」とか言って。
うちはそんなに裕福じゃなかったで、女の子と遊ぶ時は、みんながリカちゃんハウス持っとっても私はカルピスの箱やったん。お中元とかお歳暮の、瓶のカルピスの箱あるやろ? あれが私のリカちゃんハウスやった。
ほいで着せ替えの服とかもさ、みんなは、ようけ(たくさん)持っとんの。私はフェルトで作ってもうて、ごつくさい(野暮ったい)けどそんなんしかなかった。それでも楽しかったよ。
あと大台の好きなとこは、瀧原宮(たきはらのみや)。小さい時は毎年元旦にお参りしたし、今も1人で行ったりする。他にも、滝原駅から橋に向かってすぐのとこに「不動さん」って言うてさ、ちっちゃいお宮さんがあるんやんか。ここがちっちゃい時の私の歌の練習場や。子供やで1円とか5円とかお供えして、歌が上手くなるようにお願いするやろ。それから、不動さんの前で「瀬戸は 日暮れて♪」って歌の練習するの。
忘れられない1000円札の音とおばちゃんの言葉
うちの父親は私のボランティアの師匠なんやけども、「人のためになんかせえ」「人に喜んでもらえることをしとったら間違いない」っていう人。だから、父が地域のためになんかしようって企画して。地域の敬老会とかイベントでは、お父ちゃんが蝶ネクタイして、「歌は流れる、あなたの胸に」「それでは歌っていただきましょう」とか言ったりして司会をするんやわ。ほんで紹介してもらって私が歌う。
普段は巨人の野球帽かぶって半袖半ズボンやけど、歌う時は可愛いワンピースの一張羅着せてもらえるやん。ちっちゃい子供心にさ、親に可愛がってもらえるのが1番嬉しかったな。
そういう地域のイベントをしてるとさ、コマ付きの自転車でそこらへんをウロウロしてると、田んぼや畑におるおじちゃんおばちゃんらが「いくちゃん、ちょっとこっちで歌って」って言ってくれて。ほいで田んぼや畑の真ん中で「せんせい せんせい♪」って歌(うと)とったら、みんなが拍手して、「いくちゃん、これ持ってきな」っつって、夏はスイカとかいろいろ畑のもんをくれた。
それからは、おもちゃのマイクを自転車のカゴに入れて、ウロウロウロウロしとんねん。ほんで歌うやろ、帰りはカゴが大根やらみかんやらでいっぱいになるんさ。あと回覧板持ってったりした時に、ちょっと玄関先で歌(うと)うて100円玉貰(もお)たりとかしとった。
で、小学校1年生か2年生ぐらいの時に、敬老会で『月がとっても青いから』を歌(うと)たら、前におるおばちゃんが「あんたこれ~」って私の手に紙をにぎらしてくれたん。
いっつもチャランチャランの50円か100円やのに、紙さ。触ったことない感覚。「うーわ、紙や!」「なにこれ~!」と思って、歌(うと)とっても、この手が気になってしまうの。歌っとるで見れへんしと思って。
ほいで終わってすぐ、わーって一目散にうち帰ってさ、小指から指1本ずつゆーっくり開く。その当時、500円札っていうのがあったんさ。500円札と1000円札では倍違うやん。「どっちやろ、どっちやろ」って、もう気になって。で、そーっとそーっと開けたら、1000円札やった。
「う~れしい!」て何回もお札のシワを伸ばして、またきれいに折りたたんで、キキララの貯金箱に入れたらボットンっていうたん。いつもやったらチャラーンチャラーンって軽い音やけど、ボットンって。やっぱり札は重みがある(笑)。あの音、未だに覚えとるもん。それぐらい嬉しかった。
お金だけじゃなくて、そのおばちゃんが「私らの青春の歌を、こんなちっちゃい子が歌ってくれて」って、泣いてくれた。あれも嬉しかった。
音楽の力をこれからも
私が昔、カラオケで山本リンダの歌を歌って盛り上げたから「リンダ」って名付けてくれた子が、30年くらい前に久居のデイサービスで働き出したん。それまでにもちょいちょい福祉施設にボランティアで歌いに回っとったから、「リンダ、来てくれーっ」て呼ばれて歌いに行って。で、そこで『おふくろさんよ』を歌った時に、あるおじいちゃんが膝にティッシュを抱えて号泣した。
それでね、また違う施設へ行って『東京だョおっ母さん』を歌ったら、踊り出してきたおばあさんがおった。それ、なんかすごいなって思った。たぶん、その人ら認知症やと思うんさな。昔の歌で、その人の記憶とか思い出が一気にわーって蘇るんやなっていうのを目の当たりにした。
それともう1つ、三重病院でもう体が動かんくなってしまった人の病棟があって。そこで「お誕生会をするので、ちょっと盛り上げに来てください」って言われたんやけど、体が動かない人に向けて歌ったことなかった。で、一緒にボランティアする人と相談して、普通に歌うんじゃなくて、タンバリンとか鈴とかいっぱい持って『おどるポンポコリン』を歌って踊りながら、ピーヒャラピーヒャラってしたん。
そしたら、寝たきりで体が動かへん人やけど、目もとでクックッて笑(わろ)うとんの。私、それ見たとき、泣きそうになってさ。ほんでパッて見たら、その横におるお母さんが涙流しとんの。「こんなすばらしい誕生会はない」って。
もう、あの時は感動。やっぱり音楽ってすごいなと思う。生きる希望っていうか、生き甲斐っていうのは必要なんやなっていうのをすごい感じた。
それで、時間は命やと思う。一生懸命な人たちが側におると、自分もパワーアップしてるし、話をするとウキウキワクワクしてくる。自分の生き甲斐を持ってる人たちと触れ合っとると、何か自然と社会貢献できるというか。
だから、そういう人たちと共に何かをするっていうのが私の毎日の目標というか。今って1人が旗振って引っ張っていく時代じゃなくて、輪になって、和んで何かを成し遂げる。そういう時代とちゃうかな。私は何に対してもそういう精神でいきたいなと思ってて、音楽もそうなんですよ。
だから私は、こういう音楽ボランティアはずっと体の動くまで続けていきたいな。だって私、3歳から歌とボランティアやっとんやで。元気になってもらわな、みんなに。
totutotu副編集長。株式会社ライフ・テクノサービスで広報やデザインを担当。趣味でマイペースにZINEの編集も。SUPER EIGHTファンです。
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