
自衛官として13,135日
今は津市川方町って、昔でいう久居に住んでます。近鉄線沿いです。久居駅にも近いし、桃園駅にも近い。真ん中辺りくらいですね。
津市に最初に来たときは私、自衛隊やもんで。昭和41年に入隊して、久居駐屯地で教育を受けて、それから北海道へ。北海道には5年いました。それから名古屋市内の守山っていうところで勤務して、35歳くらいにまた久居に転勤してきたんです。もう永住ですわね、家族共々。
13,135日、これが定年までの日数。うるう年もちゃんと計算されて。この置物、定年退職するときに後輩が作ってくれたん。ほやもんで大事にしとんのやわ。

自衛隊と地域の人々をつなぐ「久居まつり」
久居に来た時と今では、まちの雰囲気はだいぶ変わりましたわね。そんに家もなかったけど、戸数も増えましたね。毎年秋になると「久居まつり」があって、自衛隊の仮装行列があったんですけどね。
※編集注:現在は自衛隊による仮装行列はなくなり、「ひさい版仮装大笑」として受け継がれている。

私も出てましたよ。久居市から、自衛隊に「協力をお願いします」っていう話が来るから参加せないかんの。みんなそれぞれいろんな格好して、今の自衛隊の所から久居の元町らへんをぐるっと歩くんですよ。もう本当に2~3時間はぐるっと回ってましたね。
仮装行列してる自衛隊だけでも何百人って結構参加してますわね。ここは時代劇風、こっちはアニメ風とかね。部隊ごとに毎年いろいろ考えて、トラックの横に看板を作ってね。衣装は借りてきたやつもあるし、手作りもありましたよ。仮装行列がなくなる前ぐらいに、私らがやったのは一休さん。小学校1年生か2年生の隊員のお子さんを一休さんにして、新右衛門さんとかは、時代劇をつくっとる京都の太秦撮影所で衣装や刀を借りてきたりね。本格的にやってましたよ。
お年寄りとか子どもさんとかは、もうそれは一年の行事の楽しみですからね。拍手して「うわーっ」ていうような感じやったですね。そらもうみんな沿道に来て、ずっと見てましたよ。

踊ったり演劇やったりもしてましたよ。町長さんとか市議会議員とか、いろいろな人が審査員になって点数つけて、「どこどこが優勝や」「どこどこが2位や」とかっていうのがありました。確か賞状とか景品とか、金一封も出たと思いましたよ。優勝は3万円とか準優勝は1万円とか。
ほんで本番のお祭りの日はそこから出発して、ぐるっと回って半日くらいかけて市役所へ。審査をして、駐屯地の中の舞台へ帰ってくる。そういうふうな感じでやってましたね。
私は看板描くのが得意やったからね、畳一畳くらいの大きな字をトラックの横に描くとか、そういうのをやってました。レタリングっていうやつ。見本を見て、「ああ、こういう字やな」って、もう感覚でわかるから。

久居の大きな駐屯地の体育館でやった「入隊式」の横断幕とか、「ようこそ久居駐屯地へ」っていう看板とかも描いたんですよ。今やったらね、パソコンでぐーっと拡大できるけど、そんなんなかったから。自分で書いたそういう字の方がいいですわね。パソコンで拡大したやつはなんか貧弱ですもんね。
変わってしまった町並み。変わらない自衛隊。
私も自衛隊の仮装行列ががいつまでやったかっちゅうのは正確にはちょっとわからんけども。

久居駅のあたりも変わりましたもんね。前に自衛隊の土地やったところも、今は津市の駐車場になりましたしね。土地だけは津市の駐車場になって、ちょっと出たところを自衛隊がちょこっともらって、宿舎にしたり。そこら辺も変わって。


あの辺りの建物も駅も、昔はみんな木造ですよ。昔の面影って言ったって、もうほとんどないですね。でも自衛隊の資料館は、まだ古い建物だと思いますし、その中にはいろいろな写真とかあるから見せてもらったらわかると思いますよ。まちは変わりましたけど自衛隊の建物とか場所自体は昔から変わりませんね。



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