

子どものときはお寺の子として、雨が降ったら外苑の拭き掃除、夕方は鐘を突き、夜には山門を閉めるお手伝いもしていました。

桑名にある善西寺は約430年の歴史があり、祖先は国司北畠氏に属していた矢田城の城主です。織田信長の北伊勢侵攻のときに落城し、城主の矢田俊元は自害しました。孫の俊勝が出家をして寺を作ったことが起源です。
15代住職の私の以前の職業は、生命科学の研究者でした。今は僧侶として向き合う対象が「生命」から「いのち」となり、専門は大切な人を亡くした人が抱える悲しみや苦しみを支える「グリーフサポート」です。

善西寺の門前は、東は東京日本橋、西は京都五条まで続く旧東海道です。桑名は江戸時代に松平家が治める城下町として栄えたこともあり、子どものころはその名残で旧東海道にも和菓子屋や商店が多く賑わっていました。
小学生のころは学校から帰ると玄関にランドセルを置き、グローブとバットを握りしめて町内の空き地で野球をしていました。まるで、サザエさんのカツオ君みたいですね。ドラえもんに出てくる空き地のように、土管が置いてありました。
土管があったのは、高度経済成長期の生活インフラの整備のためです。1970年代は日本の各地にそういう空き地がありました。ドラえもんの漫画が連載をスタートしたのも1969年ですね。
門前は町屋づくりで家々の密度が高く、野球をして遊んだ夕方の帰り道、お腹を空かせて歩いていると香ばしい醤油の香りがして「あの家の今日の夕飯は煮物かな」なんて、子どもながらに想像していたことを覚えています。
今は高齢化も進んで空き家も増え、若い世代のご家族は山手の新興住宅地に家を建てる方が多く、以前のような賑わいはありません。

桑名といえば真夏の8月に3日3晩、各町が所有している43台の祭車が鉦や太鼓を鳴らし続ける日本一うるさい祭「石取祭(ユネスコ無形文化遺産)」があります。善西寺がある町内にも祭車があり、子どものときから今でも祭が近づくと、ワクワクと胸が高まる気持ちになります。
ご近所の先輩方も同じ様子で、祭の準備ではワチャワチャとして仲良しですね。今でもお互いに「ちゃん付け」で呼び合うのは、子ども時代も一緒に過ごしたからです。祭があることで、ここのような旧市街地でも地縁コミュニティが続いています。良いことだと思います。

知らない人ばかりのところで暮らすより、こういう人間関係がある場所の方が住みやすい。そういう人たちとつながっていることで、楽しいことも辛い別れもありますが、自分も生かされているんだなと実感することがあります。

最近「孤独」という言葉を、社会の課題としてよく耳にします。しかし仏教的には孤独は悪いことではなく人間は本来、孤独である「独生独死独去独来(独り生まれ独り死し、独り去り独り来る)」という教えがあります。
ただし「孤立」は辛い状態です。地縁コミュニティがあれば、否応なしに人とつながる。だから祭は大事だと思います。「孤独」が問題視される現代になって、そこに気がつき始めた人が増えているのではないでしょうか。むかしは地域に「互助」の精神があり、人と人とが支え合うコミュニティがありました。

葬儀もむかしは家で行い、地域の人が地域の人がお非時(葬儀の時ご会葬いただいた皆様に振る舞う昼食)、祭壇もみんなで作り、焼き場まで一緒に行って見送りました。さらにむかしは、村々で火葬まで行いました。これは地域に互助の精神がないとできません。現代のセレモニー化された簡易的な葬儀ではなく最低でも2日間は掛かり、その間はみんなで過ごし、故人を想う時間でした。
知り合いが施設長を務める老人ホームがあり、身寄りのない方の葬儀をすることになりました。本来なら施設で葬儀はしないのですが、知り合いということもあり、その方が最期まで過ごした部屋で葬儀をさせていただきたいと願い出て、実際に執り行いました。
職員の方々が故人の思い出を語り合ったり、施設で仲が良かった入所者の方々が焼香を上げてくれたり、最後はみなさんが廊下に出て見送ってくれました。多分、施設に入所して暮らしているお年寄りの皆さんも、最期が不安なはずなんです。でも、こうやって最期をみんなで見送ってもらえる。それを体験してもらえただけでも、安心につながったのではないでしょうか。
もし施設の部屋で葬儀ができなかったら、私と仏さん「ふたりきり」でどこかの葬儀場で葬式をすることになります。故人の思い出を語る人もいない。見送る人もいない。「あの人はこの食べ物が好きだったな」「こういう話をいつもしていたな」。些細なことでも、その人が生きた証がない葬儀になってしまいます。
人間は亡くなっても、尊厳があると思うんです。

最期をみんなで看取る時間。故人を想うこと。それはどんな時代でも、とても大切なことだと思いながら日々、僧侶の活動を行っています。

totutotuディレクター担当。三重に暮らす・旅するWEBマガジンOTONAMIE代表。職業はライター、デザイナー、各種ディレクター。趣味は散歩と映画鑑賞。取材や散歩などで日焼けしており、アウトドア派に思われがちなのですが基本インドア派です。三重県津市の山側に生息しています。小さな漁村好き。