七越の味は思い出の中

伊勢市駅のすぐ近く、宮後(みやじり)の出身で、今は津にある高齢者施設の管理者と、音楽療法の活動をしています。

実家の近くにひらがなで「まめや」ってうどん屋さんがあって。大晦日だとそこで年越しそばを出前でとっててね。うちの通りにまめやさんのほかに「まるや」ってうどん屋さんがあって、まめやさんは伊勢うどんを出してるんだけど、まるやさんは普通のお醤油だしのうどんだったの。どっちもおいしいけど、まめやさんは近所だからよく行ってて、まめやさんが休みのときはまるやさんに行ってました。

あとは、昔伊勢市駅前に「七越」っていう和菓子屋があって。「七越(ななこし)ぱんぢゅう」って聞いたことない? 津で言ったら「蜂蜜まんじゅう」みたいなのの上に青海苔がかかっている・・・あれが本当においしくて。あそこのお店で食べると香ばしくてパリッとしていておいしいの。でも、おいしいからってお土産で買ってくると、しんなりしちゃったりしてね。

「七越」はかき氷がでっかかったの。窓口からどうぞって出してくれるんやけど、窓口の枠ギリギリの大きさ。シロップはプラスチックの計量カップみたいなのに入ってて、あとで自分でかけられるん。わーって食べたらキンキンに頭が痛くなる。友達、2人とか3人で食べてちょうどいいような、でっかいかき氷。中学の時は近所の友達と食べたりしてました。

お店はもうなくなっちゃったんです。伊勢のお菓子は「へんば餅」とかおいしいのいろいろあるけど、七越を知ってる人とは今でも、「七越よかったよなぁ」「自分は七越やなぁ」って話してますね。

伊勢市駅近くの踏切。現在、ホテルやマンションが建てられているあたりに「七越」があった

おばあちゃんに連れられて始めたピアノ

ピアノを学び始めたのは幼稚園のころ。おばあちゃんに連れられて、幼稚園の先生がやっているピアノ教室に行ったのがきっかけです。

おばあちゃんは孫ができたらいろいろ習わせてあげたいって思ってたみたいで、私は塾とか日本舞踊も習ってました。その中で、ピアノはずっと続けていたんですけど、「音楽が嫌い」とも「やりたい」とも思っていないまま、続けていました。

おばあちゃんに作ってもらった服を着て、ピアニカを吹く幼少期の倉田さん

感化されて開いた青春の日々

中学生の時は『エースを狙え』とか『アタックNo.1』が流行っていて、私もテニス部に入ってみたけど、「ボール拾いばっかりでしょぼいな」って思って、かっこよく見えてたバレーボール部にすぐ転向しました。

ピアノの先生には「ピアノやっている人はバレーやめなさい」って言われたけど私は「じゃあピアノやめます」って、即決。一旦、2年近くやめたかな。

だけど、きっかけは覚えていないんですけど、急に音楽がやりたくなって。それで音楽科がある松阪女子高等学校(現・三重高等学校)を受験しました。

ピアノの練習をしていた時は、「バレーは楽しかったから後悔はしていない」「でも、ピアノやっとけばよかったな」って思うこともあったね。腕を取り戻すために一生のうちで一番練習したと思う。

無事合格して高校に進学した時は、友達に勧誘されて途中から吹奏楽部に入ったんです。中学のバレーの時みたいに「吹奏楽もええな」って。担任の先生から「部活の練習もしてたら授業でやるピアノの練習できへん」って言われたけど、それでもやりたいって決断して。

吹奏楽部ではホルンを担当

ちょうど、その頃に三重国体があって、松阪地区の学校合同でマーチングを披露したんです。全国大会でも賞をいただいて、ヨーロッパの音楽家の人たちの目に留まって北欧地域に招待されたんです。向こうでマーチングもパレードもしたし、いろんな施設に慰問に行って、それ以外はホームステイさせてもらってました。

あの時、吹奏楽に感化されてなかったら、こんな経験してないんですよね。定期試験もあって朝も夜も練習に明け暮れたけど、すごい体験をさせてもらいました。

大学卒業後は音楽教室でピアノの講師をしていたんですけど、音楽教室の生徒の中には、練習をしてこないとか気持ちがすれ違う子もいて虚しかったんです。

あるとき、音楽療法をやっている友達のお手伝いとして介護施設に行ったら、お年寄りがすごく楽しそうに歌ってくださって、私たちに「ありがとう」「楽しかったわ」とかって言ってくれてね。だから「音楽療法ってなんてやりがいのある仕事や!」って思えた。それをきっかけに音楽療法の勉強を始めて、今の活動に繋がっています。

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