チンドン屋が歩き、流しが音楽を奏でていた大門商店街

津の観音さんの屋外ステージの東側が僕の実家でした。小学校まではそのへんに住んでて、観音さんの横の広場やら大門の交番前やらで毎日遊んでましたよ。昔は八百屋、魚屋、肉屋、服屋もあって、よう賑わってました。

そこにチンドン屋さんが来るんです。サンドイッチマンがベニヤ板ぶら下げて歩いて、三味線(弾く人)がいて、クラリネットがいて、トランペットもおって。午前中から昼過ぎまで商店街を練り歩いて、「今日は何々商店が特売ですよー」とか「夕方から安売りしますよー」とか、そういうのを宣伝するんやわ。

チンドン屋…派手な衣装を着て楽器を鳴らしながら練り歩いて宣伝する、昔の広告スタイル。
サンドイッチマン…胸と背中に広告看板をぶら下げて街頭で宣伝する人。

ほんで、夜になると「流し」の人が来る。ギター持ってる2人組で、飲み屋を1軒1軒回って、「こんばんは、1曲いかがですか?」って。お客さんが「おぉ、やってや」って言ったり、店の人が「ええで」って言う場合もあったな。3曲で50円。僕が小学校1年の時(昭和33年)は、はちみつまんじゅうが6円やったから、当時の50円は高級やったね。4人家族が200円あったら1日食べられる、そんな時代やったもん。

はちみつ饅頭…津市大門の名物菓子。現在は1個60円。

少年時代の「曙座」と花街の記憶

うちの親が「曙座」っていう大映系の映画館の支配人をしててね。学校終わったらランドセルのまま、映画館行ってました。芝居小屋の名残があったから、でっかい舞台があって、せり上がりも花道もあって、回る舞台もあった。隣には「松竹劇場」、大門にあった元・松菱の上は洋画の「大門劇場」。大門には映画館が3つもあったんですわ。

大映系:かつて存在した映画会社「大映」の系列に属する映画館や作品群を指す。時代劇や文芸映画などで知られた。

昭和40年頃の大門周辺の地図(池田さん提供)。
大門にあった津松菱取り壊し時の写真(池田さん提供)。

当時はテレビなんかない時代やから、「絵が動いとる!」ってだけで楽しくてね。小津安二郎とか川端康成の映画も、意味わからんけど観てた。それから、美空ひばりさんとか、三波春夫さんとかが、大門の映画館に来とったんですよ。CDもないし、PA(音響)もなかった時代やから、東京から楽団連れてきて生演奏でステージやってた。

太田胃散の空き缶が池田さんの灰皿代わり。

小学校を上がったあと、津の乙部っていう海の方に引っ越したんですわ。あそこは料理旅館がめちゃくちゃ多くてね。ちょっと高級な店が並んでて、芸者さんがいっぱいおった。芸者さんは「置屋」っていうとこに住んでて、朝から雑巾がけして、昼は踊りと三味線の稽古して、夕方にはお座敷に出てくる。置屋があるってことは、着物屋さん、下駄屋さん、三味線屋さんもいるってことで、地域全体が芸を支えるまちやったんですよ。

まちには“音”があった

昼はチンドン、夜は流し、映画館じゃ生バンド、料亭じゃ三味線や太鼓。まちのどこに行っても、何かしら音がしてた。そんだけ音楽があったら、そら子どもも惹かれるわな。僕、小学校4年の頃には「将来バンドやろかな」って思ってたもん。

今みたいにスピーカーの音じゃなくて、あちこちで生の音がしとったんです。 それが街の空気をつくっとったんやなぁって、今になって思うんです。

池田さんが営む「大衆芸能酒処 Heart ポッポ」。ミュージシャンが生演奏をすることも。
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