幼少期の夏見での記憶

元々は名張やねんな。名張の夏見。積田神社をずーっと入っていったところが夏見。名張川があってな、そこから比奈地に行く道と夏見に行く道があって、あと青蓮寺湖にも行く道があって分かれててん。ほんでその、夏見の橋があるからその橋渡ってすぐ。

小さい時はあんまり遠くには行かしてもらえへんだで、家の近くで鞠つきしたり縄跳びしたりしてたくらいかな。おつかいは、お父さんの酒買いに「澤(澤酒本店)」っていう酒屋さんへ行ったりしたわ。今もあるわ。坂下ったり、まっすぐ行って山のところ下ったりしたな。

澤の酒屋の近くに「吉田」いう、お菓子やなんやちょっと売ってるとこやら、何でも売ってる「麻屋」いうて、お菓子から酒から野菜でも何でも売ってる大きい店があってん。そこにみんな、物買いに行った。

おつかいの帰りのお菓子は、棒の飴。2本で1銭でな、それにしてもろたん。「他のもんなんか買いたいなぁ~」思ても、その飴だけ。味はいろいろ、シソとか。飴買うとる時も楽しかったな。

堅焼きのせんべいとか、「今度あれ買おう」とか思っても、同じくらいの値段でも飴がいちばん長いこと(味が)あるからなぁ。

自由奔放な夫との結婚生活

私は結婚するまで東大阪にいて、そこで25で主人と結婚して。遅かってん。近所の世話焼きのおばさんが連れてきてくれてな、1972年2月18日に嫁に行ったんや。ほんでな、あの時は、見合いしたら縁も何もないねん。もう、「好き」とか「嫌い」とか。

うちの若い時の旦那は輩もんでな、あんまり働かへんだん。お金は月になんぼか、1万6000円くらいか決まっただけ入れてくれて、「あんた何しとったん」って聞いても「えぇから」って(笑)

もうな、口が上手いから、自分の体がラクな方へラクな方へ持っていきやんすん。ほいで酒飲むしね。なんべん別れて帰ろかなと思たか。そう言うてもな、長男とか長女とかおったでな、この子らの面倒をみやなあかんと思って。

子どもを育てなあかんって時に、お金ないやろ? ほんで、仕事に行って。その時は娘が幼稚園やったさかい、その時から働きだしてん。

楽しかった仕事と同僚との旅

東大阪にな、ミヤマエっていう会社があんねん。工場が家の近くにあって、家から5分。

その会社が何やってるかっていうとな、釣りの電動リールを開発して、それをナショナル(現パナソニック)へ納めてた。言うて悪いけど、私はよう働いてた。なんか楽しかったわ。なんて言うたらえんやろ……人に(仕事を)教えたりな、はんだ付けいうて、アレやっててん。

素人はな、はんだをなかなかようせぇへんねん。(付けるはんだの量が)多いねん、ポコッとなって。私やったらチョッ、チョッ、チョッっとするからな、付けたか付けてへんか分からへんくらいでな、わりと重宝がられたん。

会社には友達が3人いててね、1万円ずつを毎月貯めてしててんけど、それで年に2回ずつ旅行に行ってた。5月と8月。

(目的地は)友達に言わんと、私がぺっぺって申し込んだところに行くねん。そしたらあの子ら、「どこに行くんや?」「どこへ連れてってくれるん?」って。伊勢に行ったりして、どうってことはないけどご飯食べて、ホテルで何やかやって賑やかに話しして。あの頃やな、1番楽しかったの。

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