生きるために始めた農作業

親1人子1人で、家のことをやっとったで。島ヶ原の病院の先生のところに奉公に行って、足掛け5年行ってましたんやけどな。戦争中やでな、山を開墾して作物を作ったり、百姓したりして。先生は(病院に)出て男手がいないから、百姓のこととかを習って、やってったんですさかいなぁ。食べるだけのものを百姓してました。

かつて奉公していた竹沢医院

田んぼ掘りから、畑植えして、そんなぐらいですねんけど。そこのおばあさんが「さぁ、山行こー」っちゅうて、じゃがいもとかさつまいも作ったり、大豆作ったり、そんなんしてました。さつまいもは、昔のことやでお粥さんに入れたり、ふかしいもしたり、いもご飯したりしてたわけやな。

かつて賑わっていた島ヶ原駅前の風景

畑は島ヶ原の駅の近くやったわな。駅付近に何もかもあったけど(今は)ないようになってしまって、空き家ばかりですんけどな。そこの駅前は、呉服屋さんもあったし、たばこ屋もあったし、うどん屋さんもあったし。「マル通」言うてな、貨物の汽車をする男の人が来て勤めてたけどな。
※日通(日本通運)のこと。赤マルに白い「通」の字のマークが由来。

島ヶ原駅舎
現在の島ヶ原駅前の風景

呉服屋の方見たり、お菓子屋さん行ったりして遊んでた。たばこ屋はおつかいに行った。たばこは、今みたいに良いたばこはないんです。刻みたばこをキセルで吸うやつ。紙巻き(たばこ)は戦争後や。

お菓子は饅頭とか。お菓子も、そんなに良いのはあらへんだな。薄皮饅頭とか、煎餅とか、ニッキ玉やとか。(私が)子どもの時は、新聞紙にニッキ水を濡らして、そんなんを舐めてたわ。

町の人の一大イベントは、今も続く「全国で1番遅い祭り」

昔は遊ぶのもあらへんから、祭りが楽しみ。島ヶ原の祭りは12月20日、「全国で1番遅い祭り」や。獅子舞を回す人が、12月にかかる頃になったら家を1軒1軒まわって獅子舞をしはる。鸕宮(うのみや)さん。鸕宮神社っちゅうんです。線路をつとうてずっと行ったらありますけどな。そこも昔は小学校があったしやな、今は上の方へ変わってしまって。

本殿まで125段の石段が続く鸕宮神社

2月にも大きな祭りがありますんや。そこをまっすぐ行ったら正月堂っちゅうのがあって、そこで大きなお餅かつぐんや。

タグ