
大学教員の採用をきっかけに三重県へ
出身は福井県。三重県に来る前は京都と大阪で高校の教師もしてました。
大学の教員にしてもらうために三重大学に来たのは、昭和の33年くらいかな?もうちょっと経ってたかなぁ。それからずっと三重県だけど、三重大学の定年後はちょっとまた京都へ単身赴任してました。
大学教員時代、学生との思い出
数学を教えながら、数学の研究をしていました。講義では、わぁーっと黒板いっぱいに書いて、皆さん学生はノートに筆記してるけど、なるべく会話をするように心掛けていました。
自分のやりたいことをしていたのだからか、楽しいってことは言えるでしょうね。研究者としても頑張っていました。
学生と酒もよう飲んだなぁ。昭和の30年代、40年代ですからね。うちの学生はよう飲みましたね。学生から「先生に飲ませぇ!」とか言われたりね。
多くの人を連れて飲みに行った「茂波(もなみ)」

休日や家のまわりで出かけた覚えはあんまりなくて・・。あぁそういえば飲み屋。人も連れて行くこともありました。あれは・・・観音さんの近く、大門。昔はよく栄えていました。繁華街っていう程、繁華街ではなかったけれど、お酒はよく飲みました。

よく行ったお店は、あれは・・・「茂波」、「茂波」やわ。今もありますね。人もようけ連れてった。三重県外から来たお客さんも連れてった。
料理は魚はしっかりしとっておいしかったよ。割安やったしね。


ライフ・テクノサービス広報担当。LTSブログも更新しています。推しがジャンルごとにいます(担当色が緑か青に偏りがち)。