
にぎわっていた神社のお祭り
お春日さんっちゅうんは、宇流冨志禰(うるふしね)神社のことをいいますのやわ。


お祭りのときはね、宇流冨志禰神社から若い人が出ておみこし担いで、新町の愛宕さん(愛宕神社)へそこへ1日だけね、移動するんね。そいで1日かけて、また自分のところへ帰っていきますねやわ。お祭りの時だけね。
お祭りは案外にぎわいましたわ。私の小さいときはね、昔はたくさんよその在所から、お春日さんに遊びに来てね。大阪の上本町やら中町のとか。ようけ出店(でみせ)もあってね。
鍛冶町に蛭子神社やったかね、えびすさんっていうて。せや2月8日の「八日戎(ようかえびす)」。昔の人は、貝とここらの山の物を物々交換したんですかな。私ら小さい時は、もうしてませんでしたけど。鍛冶町のえびすさんとこへようけ貝を売りにきて、こんな大きなね(手で形を再現しながら)、うんうん。
買うて持って帰ってきて、火起こして、火鉢のところに貝を乗せて焼いて。くぁーって口開くから、それをよばれたんな。うまいことぱっと開いたら、貝のお汁もよばれられるけど、さかさまやったら・・・くるっとひっくりかえって、お汁がみんな流れてしまいますんや。
ちょうど「八日戎」やから親戚なんかも呼んでごちそうをして。ごちそうっちゅったかて、すきやきしたくらいのもんやけどね。ハマグリを買ってきて、火鉢の上で焼いて。そういう思い出があります。
記憶に残る戦争と災害
あと覚えていることっちゅうたらね、6歳・・・もうちょっと小さかったか知りませんけど、大東亜戦争があって。家の目の前に山がありますんやわ。大阪焼けた時にな、空がぼぉーっと、明かりになったんな。私寝てたら姉さんが「これ見な、明かりになっとる。大阪、焼けてんねんな」ちゅって、おしえてくれた。ほんまに山の上が、空一面がぼぉーっとな茜色、ピンクみたいやった。それを覚えてますわ。
ここらがなんかあったんは、伊勢湾台風の時。鍛冶町橋に大きな木が流れてきて川を塞いだもんやさかい、鍛冶町やら新町やら朝日町やら、水がどっと来た。それから4、5日して水が引いてから自衛隊が来て、ころっとお掃除してくれたのも覚えてます。うちらは駅の近くでちょっと土地が高かったで、そういうことはなかった。平尾山も高いさかい、水ついたりしたことないけどな。
地域で行った平尾山のお花見

平尾山といえば、ようけ桜の木があって。今は運動場みたいに広ぉしてあるけど、ちょっと上に行ったら今もようけ桜の木があってな。小学校ぐらいの時分かね、ようけ咲く時期になったらお弁当持って、地域の組で花見に行った。

組が今日はお花見行こかいうてな。組言うたかて10何軒、16軒あったかな? そんなごちそうは持って行かへんけどね。遠足みたいな感じやな、大人も子どももみんなで。楽しかった。おにぎりやら、お寿司やら。お酒は男の人だけやな。お寿司は、巻き寿司やらあげ寿司やら、そんな豪勢やないけど。準備も楽しかったですに。


ライフ・テクノサービス広報担当。LTSブログも更新しています。推しがジャンルごとにいます(担当色が緑か青に偏りがち)。