名張ではじまった結婚生活

生まれは伊賀。結婚して、27くらいやったかな、旦那が名張の人やったんで「養子にやったんとちゃう」って向こうの親が言うてやな、「上野からは通わされへん」って名張行った。名張に住んでたのは3、4年や。子どもが生まれて1歳半くらいかな。自分たちで家を買って、それからあとはずっと伊賀市。

ずっと取り組んできた「書」

伊賀市展ちゅってな、そういう展覧会はほとんど行った。なぜかっちゅうと私は「書」、書道。書くことが好きでな、書を習っててん。若いころから、ずぅーっと。「幸せはな、自分の心が決める」とかな、色紙にそういう言葉の字を書くには、言葉を勉強せなならんやろ。私の部屋に来てもらったら、いっぺんにわかるよ。書の色紙に書いた字、ちょちょっと貼ってあるしな。

ここ(入居している介護施設のロビー)は絵の作品ばっかり貼ってあるけど、書が好きやからこうやって額に入れて毎年出してた。まぁ88の米寿の頃はまだ出してたかな。

高校時代からの作品をまとめた作品集

変わらない、でも変わっている伊賀・上野の街

思い出の場所はどこにでも、それなりにありますよ。そりゃ、伊賀市上野の街そのものも変わっているわな。もう今は上野市駅の近くの変わりようもすごい、違う違う。

昔、産業会館(上野産業会館、現・ハイトピア伊賀)ちゅうのがあったんやけど。今はその産業会館はなになっとんのか知らんけどな、姿かたちも変わってるわ。エレベーターっていうんやら、しゅーっと3階まで行けるし。建物自体も変わってるわな。

展覧会あるちゅったりな、行くわさ。市民展とか、今でも産業会館でしてるんとちゃうんかな。そこではいろんな陶芸やとかいろんな偉い人が場所借りに来てやな、生徒たちと教えたりな、そういうこともするやろしな。誰かを呼んで講演会を開くのもそこやな。あんまり子どもは連れて行かへんかった。今の方が子連れでなんかすることが多いと思う。テレビ見てると思うけど。

子どもは伊賀、上野で生まれた子やろ。孫も上野で生まれた子やろ。家族にとっては伊賀は何の変わりもないけれども。姿かたちは変わってるわな。子育ての仕方も今のやり方とは違う。それと一緒やわな。

市民展に出展した作品を小さくしたものと、ご家族(ご主人、娘さん、お孫さん)との写真

タグ