長距離を列車で通った学生時代

出身は伊賀町。その前は西柘植っていう名前のところ。合併合併でね。

学校は津工業高校の電気通信科へ汽車で通っていました。
JR関西線の新堂駅から。亀山から参宮線入ってそこからまた電車。3時間くらい掛かりました。同じ高校の生徒も5~6人乗っていて、みんなで話をしながら通学。あまり遊ぶ時間はなかった。

加太トンネルっていうところがあって。当時の汽車の燃料は石炭で走ってました。トンネルの中は換気できないでしょう。ちょっと窓を拭いたら、灰がついてるんです。

戦後のあれやったもんで、僕らの教科書は新聞。新聞を折って、折ってね。それを読んでた。そんな時代やったな。 

資格を活かして市役所へ

はじめに働いてたのは「オーミケンシ」っていう会社。津の江戸橋付近にありました。津で結婚して、城の下で結婚式を挙げた。住まいはね、オーミケンシのところにあったもんでそこで暮らしてて。長男はそこで生まれた。それから、いろいろあって退職しました。

30・・・いくつの時やったかな。市役所(旧・上野市庁舎)へ入職しました。昭和40年頃にできたばっかりですわ。そのときね、冷暖房装置の技術者がほしいっていうのがあって。私は一級ボイラー技士の資格、危険物取扱者、高圧電気技術者の資格は持っていて。60歳で定年やったけども、その資格あったもんで、71、72歳くらいまでおらせてもらいました。

家族で参加した鬼行列

伊賀の祭は上野(天神)祭が有名やな。僕が徳居町におった時はね、鬼行列に参加したことがあります。そこに住まいを構えていたんです。どぉやろな、50代くらい。子どもがまだ小さいときやったからな。子どもも行列に参加してました。

鬼行列は結構ね、大変。朝出発して、東の御旅(御旅所:おたびしょ)っていうところから西の御旅ってところに行って、そのあとまた帰ってくる。朝の9時頃から夕方の3時頃までやね。いやぁー、長かったけどね、賑やかやったね(笑)

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