紀伊長島(北牟婁郡紀北町)出身で、そこで教員として採用されたのですが、29歳かな、結婚で松阪に来たので松阪で教員をすることになりました。当時、学校はどちらかというと荒れた時期なんです。学校の中のことだけで精一杯で、そういった松阪市の中まで目を向けるってことは難しかったですね。

ぜいたくな文化が息づく豪商のまち

松阪の豪商のまちを見ていただくと、経済的にも非常に豊かで住み心地がよく、ぜいたくな文化の中で暮らしていたというところが、松阪の特長だと実感していただけると思います。そういう環境がさまざまな有名人を輩出している大きな要因ではないかなと思っております。

松阪の人たちは「本居宣長」を非常に身近に感じていて、「宣長さん」って呼んでるんですね。宣長さんの旧宅には、松阪の著名な方、たとえば小津安二郎もそうだったかな、旧宅の2階へ遊びに行っていたんですよね。宣長さんのおうちっていうのは非常に身近に感じて、いつでも遊びに行くような、そういう存在であったと聞いております。

教育との連携で育む郷土愛

松阪の小学4年生の子どもたちは記念館を見学した後、事後学習として「宣長学習」をするんです。班別で大きな模造紙に自分たちがここで学んだこと感じたことをまとめます。昨年は作り上げた作品を記念館で展示してもらいました。

展示を見に来られた家族の方が「これ、あんたが書いたの?」とか非常に上手に褒めるんですね。子どもたちは照れくさそうにしながらも内容をちょっと説明して、子どもから家族の人が宣長さんについて勉強している、そういう光景を作品展示会で見せていただきました。これは子どもたちが郷土愛を育んでいく非常にいいことだと感じております。子どもたちが宣長さんを好きになり、そのことが郷土の誇りになりますよね。

東さんが感じた宣長さんの魅力

例えば、とことんまで追求して、必ず証拠を挙げる実証主義。そういった研究のスタイルに惹かれますね。それと、とにかくマメです。お正月にどういった方からお土産をいただいたかとか、きちんと日記に記して、本居家の方が代々大切に保存されたということもあります。

また、宣長さんが晩年にお弟子さんから勉強の仕方を問われると、まず大切なことは家の仕事をきちんとやりなさいっていうことを言われるんですね。「家のなり なおこたりそね みやびをの 書はよむとも 歌はよむとも」―自分の好きな本を読んでも、歌を歌ってもいいけど、まずは自分の仕事をしっかりしなさいよと。そういうことを周りの人にも言っているんですね。

宣長さんの実証主義、あるいはコツコツと何事も進めていく姿勢、周りの人との生き方。現代人であれば、それを読んだときの自己啓発にも非常に通じていくところがありますね。

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