今回は名張市在住の岸正夫さん、千代子さんご夫婦にお話を伺いました。

ひたすらしゃべった、祭りの思い出

千代子さん「生まれは伊賀。上野市」
正夫さん「伊賀上野市愛宕やな」

愛宕出身のおふたりに、地域で開催されていた祭りの思い出があるか聞いてみました。

千代子さん「祭りちゅったら、天神祭りがあるけども。他ほかになんか祭りあったな。あんた覚えとるか?」
正夫さん「祭りするところはようけあるな。愛宕神社、あと上野神社(菅原神社)や。まあ、あとどっか、ふたとこ(二カ所)あるんや。今覚えてんのはそれだけ」
千代子さん「天神祭りで覚えていることなぁ・・・」
正夫さん「やっぱり、出店で話しながら買うのが楽しみっていうか。屋台はいろいろやな。1軒や2軒と違うさかい、ようけ何軒も並んでるんや。次、次・・・と話していたら、しまいの方には(話す内容が)一緒になってくんや」

自分で釣った魚で始めた魚屋さん

千代子さん「ちょうど魚屋を始めた時にね、(夫が)一生懸命したのは私がよう見てた。うちの家のちょっと向こう、池やらあったな。そこで釣って魚を売ったりして」
正夫さん「うん、うちのちょっと向こう。なんの池でもないけど」
千代子さん「うちの家のはた。そこをよく利用してた」
正夫さん「釣れるんは珍しいものやないな。変わった魚持ってっても売れへんでいらん」

正夫さん「魚を買いに行くんやったら、市場や奈良の卸業者。朝は早いに、7時くらいに出て行って。店開けんのは帰って間ぁなしに開ける。売り切れ次第閉店。旬に合わせた魚があるときもあるし、旬なんてない魚もある。それはいろいろ」

釣りや買い付けなど、売るための魚を自ら現地まで赴き仕入れていた正夫さん。
店自体、免許の必要はなかったという。

千代子さん「店を開けるための免許って、そんなときはなかったな」
正夫さん「その時分には免許持てとかそんなんなかった」
千代子さん「今こそ、『店を持とう』おもたら免許はいるけど・・・。我々のやってるときは、自分らだけでやってる」
正夫さん「お店いうても品物と物々交換みたいなもんやでな」
千代子さん「物々交換でも、どうにかこうにか食べていけたな」
正夫さん「まぁ、交換するのは野菜でも果物でも、着るものでも何でも構わへん。食べ物一本(魚だけ)でな、生活しよう思ったらとてもじゃないけど、無理(笑)」

魚屋を始めた当時、スーパーマーケットのような店はなかったそう。

正夫さん「八百屋、肉屋がちょっとくらいやな」
千代子さん「うちらだけ(近所のお店)で生活してましたからな」
正夫さん「商売の相手(同業者)がいやへんだ(いなかった)。でも、売れるかは日によって違うさかいな。いうたら、行事があっても売れ筋はあんまり変わらない。祭りやら正月やらあったら、誰も店へは来やへんわな。『わっしょい、わっしょい!』って出て行くさかい」

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